脱・インターネット
こんにちは、Raccoonです。
コロナウィルスが深刻化して、政府から必要な時以外は外出を控えろ、との注意があったのがここ一週間ほど。自宅にいる人が増えたせいか、オーストラリアはここ数日インターネットがめちゃくちゃ遅いです。
うちのWi-Fiは昨日から速度が物凄く落ちて、今ではグーグル検索もままならないほどになりました。俺は今仕事もないので、当然ネットフリックスでも見ようと思っていたところなのですが、断然無理。携帯のインターネットも今月は容量がギリギリなので、テザリングも無理。
そんな訳で、昨日はほぼ一日読書と文章書いて過ごしました。
正直昨日の午前中は、YouTubeとかネットフリックスが見れないとヒマだな、と感じていました。でも、時間が経つごとに気にならなくなっていきました。携帯のデータ容量もギリギリなので、音楽もかけずにひたすら本を読む午後。
自分はそんなにインターネットに依存してないと思ってたんですが、全くそんなことはなく、普段どれだけパソコンやら携帯に時間を割いているかをあらためて実感。
ストリーミングサービス恐るべし。ついつい見てしまうので。
そういえば、BGM程度にネットフリックスを再生していることも多いかも。
あと思ったのは、多分人の脳みそって、今のネット環境の情報量には対応できてないんじゃないかと。
ソーシャルメディア全般、ネットのニュース、ネットフリックスなどなど、手に入れようと思えばいくらでも情報は溢れてる現在。でも、実際は情報量が多すぎて、普段から脳みそはパンク状態になっていたのかも。
だから、今回みたいにそういう環境から少し離れて、普段は情報を入れ込みすぎてオーバーヒート気味の脳みそが、クールダウンした感じがしました。
面白いのは、その状態で本を読んでいると、内容がスルスル入ってくるということ。あと、文章を書くのもはかどりました。これは朝起きたばかりの時と似ているかも。
外山滋比古さんの言葉を借りていえば、「朝飯前」の状態が午後にも発生、といった感じ。
コロナウィルスが収まった後も定期的に、断食ならぬ、「断インターネット」の時間を設けるのもいいかも知れない。
コロナウィルスのおかげで、普段気づかないことに気づけました。自主隔離も捨てたもんじゃないね。